THE ROLLING STONES
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1982 ストーンズ観戦ツアー
〜とーことCindyのびしょぬれロンドン〜
 ローリング・ストーンズが、初めて日本に来たのは1990年。1973年に、メンバーの過去の麻薬逮捕歴のせいで来日公演が中止になって以来、17年間も来日できなかった。まだDVDもなかった時代、動いているローリング・ストーンズは、フィルム・コンサートや、めったにないが、ストーンズの出ている映画やテレビ番組といった、映像でしか見ることができなかった。

 ところが、海外でコンサートを見るツアーがあるという。外国へ行けば、リアル・ストーンズが見られるのだ。1982年6月、私はとうとうリアル・ストーンズを見た。
はじめての海外旅行 コンサート初日 ストーンズ、出た!
2日目 ブリストル ミーハー観光
はじめての海外旅行


 海外旅行は初めて。飛行機さえ乗ったことがない。パスポートをどこでもらえるのかさえ知らないので、市役所で聞いてみた(笑)。

 意外に人見知りで、相部屋で他人と寝るのも初めて。旅行は修学旅行以外、したことがない。でも、ストーンズを見られるのなら、何でもする。初めてすることが恐いだなんて、このときは少しも思わなかった。私は、動いているローリング・ストーンズを見るために出発した。

 出発の1か月前から、ほぼ毎日ウォークマンを聴きながら新青梅街道をジョギングした。本当にストーンズが見られるのか、半信半疑だったので、願かけに甘いもの断ちもしてみた。ハートはロックンロール、歌うは演歌♪日本人って悲しいね。
 ウォークマンは、コンサートを録音するために、レコーディング・ウォークマンを買った。走りながら聞くにはちょっと重いし、音も飛ぶ。このウォーク・マンは、4年間たっぷり使ったあげく、その後インドで売った。

 さて、初めての成田空港。初めての海外旅行なので、どこでどうすればいいのかさっぱりわからない。ツアーだったので、手続きもほぼ人任せ。航空券を搭乗券に換えて、荷物用のタグをもらったが、どれを持っていればいいのかすらわからない。

 飛行機に乗って、雲を下に見るのも初めて。思わず写真を撮る。…現像してみたら、なんだかよくわからない影像だったので捨てた。機内食も珍しいけど、何だって、こんなに何度も出るんだろう。座っているだけなので、おなかはたいして減らない。

 初めて乗った飛行機はキャセイパシフィック航空。どこの国の会社なのかも知らなかった。ロンドンまで所要時間は南回りの28時間。当時は、アンカレジ経由の北回りが一番早かったが、南回りの方が安いらしい。台湾、香港、バーレーン、パリなどを経由して行く。バーレーンに降りたときは、夕焼けなのか、空がきれいなオレンジ色。飛行機のトイレが混んでいたので、空港内のトイレを借りる。アラブ服でひげをはやした人たちがエキゾチック。トイレはアラブ風で、床は水浸し。将来、こういうタイプのトイレを使う機会が増え、なじむとは、想像もしなかった。

 28時間の旅を終えて、ようやくロンドンについたのは朝だったような気がする。着いたのは、私が耳にしたことのある、ヒースローじゃなくて、ガットウィックとかいう空港だ。空港から、ロンドン市内に入る途中に、かなり広い牧草地があり、羊が歩いていた。大英帝国の首都なのに、こんな所に牧場があるんだ…と、感心した。
 ホテルに着くまで、バスでちょっとした観光。なんといっても、ツアー旅行なのである。ビッグ・ベンとかバッキンガム宮殿にも行ったような気がするけど、ほとんど記憶がない。ウィリアム王子が生まれたばかりで、名前が決まったとか、なんとか、バスの中で聞いたような気がする。ロンドン市内はテレビで見るのと全く同じで、初めて外国へ来たという感動がぜんぜんない。ストーンズのコンサートを前に、感覚が麻痺しているのかも。テアトル・エコーの看板女優、松金よね子さんも同じツアーの参加者。小柄だが、筋肉質の手足がかっこいい。

 ホテルに荷物を置いたあと、同室のエミー、隣の部屋のCindy、ユキの4人で、ロンドン市内をぶらつきに出る。なんといっても、同じ町にミックがいるのだ。運悪く、今日からロンドンの地下鉄がストライキに入ったので、移動手段は、バスかタクシーしかない。

 ユキは、履いてきたサンダルが壊れたので、靴を買いたいという。履き物は壊れたサンダルしか持っていないらしい。コンサートに行くのに、なんでサンダルなんだろう?
 
 ロンドン市内には、ストーンズのポスターがあちこちに貼ってあって、歩くだけでも楽しい。イギリスの靴は、サイズは大きいし、そのわりに幅は狭いので、なかなか適当な靴がないらしい。なんだかみんな高い。それもそのはず。後で知ったのだが、買った場所はニュー・ボンド・ストリートとかいう、けっこう高級なショッピング街だったらしい。

 夜、BBCTVにキースが出て、なんかしゃべっていた。相変わらずぼそぼそしゃべっているので、何を言っているのかよくわからないけど、「テレビで話しているキース」を見る機会もほとんどないので、ぼーっと見いってしまった。

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コンサート初日


 ホテルを朝の9時頃出発。ローリング・ストーンズが出るのは夜の8時頃からだというのに、である。なんでもストーンズの前に、Jガイルズバンドを始め、いくつか前座バンドが出演するので、コンサートは3時くらいから始まるらしい。しかも、巨大なスタジアムの自由席なので、早く行けば行くほど、前の席がとれる可能性が高いためとか。

 自由席なんだ…。
 屋外のコンサートに行くのは初めてだった。フィルム・コンサートで、数々のストーンズのコンサートを見ていたにもかかわらず、「座席が決まっている」と思っていた。コンサートを見るために大金を払ったツアーなんだから、指定席で当然だと思いこんでいた。
  
 会場のウエンブリー・スタジアムに着いたのは9時半頃だっただろうか。ウエンブリーが有名なサッカースタジアムだというのも知らなかった。ストーンズ以外、何も知らない。スタジアムのゲートが開くのは2時だという。まだ何時間もここで待つのだ…いい場所をめざして。でも、そうすると、一度会場に入ったら、トイレにも行けないってことじゃない?

 「そうだよ」前年のアメリカン・ツアーに参加した、Cindyが教えてくれる。
 「屋外コンサートって、すごいんだよ〜。私、去年のコンサートで後ろからどんどん押されて、肋骨にひびがはいっちゃったんだもん」

 ひょー!

 トイレはぎりぎりに行きたいけど、だんだんゲート前に人が増えてきて、トイレも混んできたらしい。待っている間に雨が降り出し、イギリスの500円傘を買う。1ポンドくらいだったと思うけど、黒いナイロン傘で、日本のビニール傘より長持ちしそう。

 11時頃、早めのお昼が出る。なぜか白米の幕の内弁当。イギリスに来たっていう感じがぜんぜんしないねぇ。弁当を出してくれた、旅行会社のツアーコンダクターは、こんなところまで背広姿で、雨に濡れてぐしゃぐしゃ。ツアー客は座り込んで弁当食ってるし、なんか、かっこ悪い集団だよなぁ。
 
 トイレに行くときに、「神風」と書いた、日の丸のハチマキを、上下逆さまに頭に巻いているイギリス人を見かける。「それ逆だよ」と教えたつもりだったけど、裏返しにして締め直していた。トイレ・レディーというのも、初めて見た。トイレにいて、蛇口をひねるだけで、お金を要求する。


 いよいよスタジアムのゲートが開いた!走れ!

 自慢じゃないが、私は足が遅い。100m走で、20秒以上はかかる。体育の教師に、「まじめに走りなさい!」としかられた事も何度かある。ところがこのときは、何がどうしたのか、ステージ左よりの、前から2列目にたどり着いてしまった。一緒に並んでいた日本人は、近くにはいない。こんなこともあるんだー。でも、できたら、中央寄り、無理ならキースがいる右側に移動したい…なんて思っても、ダメ。満員の通勤電車並みだ。こりゃあばら骨にひびもはいるさ。

 イギリス人は日本人に比べるとでかい。私の身長が手頃なのか、隣の男は、私の肩を自分の肘休めにしている。く〜、次に生まれてくるときには、絶対190cm以上になりたい…。だいたい、こんなにまわりがでかいヤツばっかりじゃ、ステージなんか見えないんじゃないの…。

 そうこうしているうちに、前座のバンドが出てきた。ブラック・ウフルーとかいう、かっこいいレゲエバンド。このあと、アメリカのJガイルズ・バンドが出てきたが、「堕ちた天使」という曲がヒットして間もなかったのに、客ウケは、ブラック・ウフルーの方が、数段よかった。6月のロンドンは、日が暮れるのが遅い。Jガイルズ・バンドのアクトは、午後6時か7時くらいだったと思うが、まるで昼間のように明るかった。

 雨が降ったりやんだり。傘がさせる状態じゃない。いつの間にか、さっき買ったばかりの傘もなくしていた。一度トイレに行ったりでもしたら、この前から2列目というポジションをキープできないと、水も飲んでいない。

 ところが肉食のイギリス人は野蛮である。ビールや、ガロン瓶のワインだか何だかを回し飲みしながら、満員の通勤電車なみの混雑の中、立ちションをしている。70代に見えるおばあちゃんも肘を張っているが、そのおばあちゃんを押して、場所を奪おうとしている若者達も凶暴である。1か月ジョギングしたからといって、たいして体力がついたわけではない私は、押されてどんどん後退してしまった。ブラック・ウフルーのショーの時が、前から5列目。Jガイルズバンドの時には10列目。ようやくストーンズが出てきたときには、15列目くらいまで下がってしまった。

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ストーンズ、出た!


 9時くらいになり、ようやく陽が落ちてきた。日本人アーティスト、カズ・ヤマザキのデザインしたステージから、無数の風船が放たれた。グランドでは、観客が、大きな風船を玉転がしして遊んでいる。ローリング・バルーンズ!
  
 「Thank you very very much for your patiance …Would you welcome to The Rolling Stones !」

 アナウンスの直後、60年代の曲、「Under My Thumb」が始まった。

 ぎゃー!動いているミック・ジャガーだ!ロンだ!ロンは、髪の毛のてっぺんをゴムで結んで、大五郎のようだ。ビルだ!キースは逆サイドなので、ちっこくてよく見えない。チャーリーは全然見えないよ〜!

 満員電車のようにぎっしりだったはずなのに、観客も一斉にうねり出し、前へ前へ押される。ぎゃぁぁぁぁ〜!転んだら死ぬー!
 一瞬、ここで死んでもいい、と思った。でも曲は続いているし、ミックは動いている。やっぱり死ねるもんか。

 2曲目は「When the Whip Comes Down」。音響のせいなのか、屋外だからなのか、メロディーがわからない。ストーンズのメンバーは全員リズムセクションのようだ。ミック・ジャガーの歌すらメロディーに聞こえない。メロディーを演奏しているのは、ピアノだけ。

 2曲目が終わると、ミックが叫ぶ。Yeah! ぎゃ〜!いちいちカッコイイ。

 キースやチャーリーは、肉眼ではほとんど見えない。スクリーンで確認するだけ。キース、こっち側にも来てくれ〜。ストーンズのメンバーは、みんな意外なほど、痩せていて華奢だ。
 3曲目の「Let's Spend the Night Together」の後、「Shattered」「Neighbours」「Black Limousine」と、新しめの曲が3曲続く。このあたり、イギリス人のノリが悪いが、初めて生のストーンズを見た私は、最初から、ハイ・テンション。自分の回りにスペースを確保する必要性もあり、できるだけ腕を振って、上下左右に動き回る。7曲めの「Just My Imagination」は、近くにいたスペイン人の女の子と肩を組んで一緒に歌う。途中、「シャンテリー・レース」とかいう、聞いたことのない曲も出た。

 後半に入り、「Time is On My Side」「You Can't Always Get What You Want」と、ゆっくり目の歌いやすい曲になると、観客の大コーラスになり、すっかりストーンズのペース。ギタリスト、キース・リチャーズが「Little T&A」を歌い終わり、再登場したミック・ジャガーが叫ぶ。「クェートに勝ったぜ!」

 何のこと?そのときはさっぱりわからなかったけど、サッカーのワールド・カップの試合結果だったらしい。

 最後は「Honky Tonk Women」「Brown Sugar」「Star Me Up」「Jumpin' Jack Flash」と、たたみかけるようにヒットメドレーを飛ばし、アンコールは「I Can't Get No Satisfaction」。

 考えてみれば、最近のコンサートに比べると、保守的な構成の演奏曲目だ。でも、その時は、そんなこと、全く考えなかった。ノリのいいヒット曲を続けて、まんまとのらされても、気持ちいいだけ。ああ、ただ気持ちいいだけ…。

 コンサートが終わったのは11時すぎ。こんなに運動したことない。水も何時間も飲んでいないので、ぐったり。でも気持ちいい。フラフラしながら、そこらじゅうの人に抱きつきたい気分だった。ずーっとステージを見上げていたので、首が痛い。

  よれよれになってツアーバスに戻ると、同じように高揚して疲労したツアー客が三々五々集まってきた。Cindyもエミーもユキもボロボロ。みんな「死ぬかと思った」と言っている。
 Cindyの服は紫に染まっている。最前列で、降っては止み、止んでは降っていた雨の中、押され続けたせいで、紫色にペイントされたステージ前の柵の色がついてしまったらしい。最前列!羨ましい〜!押され続けて、どこへも行きようがなかったおかげで、最前列をキープできたらしいが、華奢なCindyは、私以上にヘロヘロである。

 「Yeah!みんないるか〜い?明日もがんばろな〜!」と、ローリング・ストーンズのファンクラブの会長が叫ぶ。イェーなんて、およそ日本人には似合わないが、このときは、返したことばも Yeah だった。

 ツアーバスに乗り込んで、宿泊先のホテルに帰ろうとしたら、旅行会社のツアーコンダクターがいない。…ったく、英語もろくに話せないで、通訳の役にも立たない上に、背広姿で迷子かよ…。
 
 地下鉄がストで、道路が混んでいるせいもあり、ホテルに着いたのは、深夜1時近く。この時間に開いているレストランもないので、ホテルの近くのパブに連れて行ってもらう。ところが、このロンドン名物のパブ、出入口が2つあって、我々「有色人種」は専用口から入れと言われる。さすがは "sleepin' city" Londonだね!

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2日目


 同じ会場だが、スタジアムの開場時間がきのうより1時間早い。よって、集合時間も1時間繰り上がり8時。寝たのはたいていの人が2時以降だったので、起きられない。朝食を取る間もなく、ツアー・バスに乗り込む。きょうの弁当は、ホテルが用意したランチボックス。

 「さーて、きょうもがんばろうぜ。まさか、きのう疲れたから、きょうはスタンド席で見る、なんてヤワなヤツはいないだろうな」

 と、ファンクラブ会長がいうが、私はヤワなスタンド組。ヘロヘロに疲れているせいもあるけど、きのう、手荷物チェックがなかったので、きょうは録音&撮影をしたい。きのうは雨で、フィールドで押し合い、へし合いだったので、コンサート・プログラムも買っていない。 

 そういうわけで、初日に比べると、緊張感もなく、会場時間を待つ間、写真撮影などをして過ごす。きのうは、ステージ左側だったので、きょうは、右側のキース寄りのスタンドを目指してまっしぐら。

 2日目の前座アクトはまるっきり覚えていない。覚えているのは、ストーンズが始まったとたん、またガチャガチャに体が動き出したこと。バッグをたすきがけにしたまま踊っていたので、私の前のスタンドの人に、何度もバッグが当たってしまった。

 「Why don't you put down your bag ? 」(バッグ置いたら?)

 ああ〜、反語表現、Why don't you〜というのは、こういう風に使うんだ…なんて、一瞬英文法を思い出したりして。ちなみにバッグは、成人のお祝いに里親がくれたバーバーリー。価値も知らなかったし、他にショルダーバッグを持っていなかったので、コンサートに持ってきたおかげで、雨にうたれ、いっぺんでダメになってしまった(とはいえ、その後何年も使ったけど)。

 ミックの衣装は、きのうとちょっと違う。きのうは、青白のタイツで、きょうは紅白のタイツ。アメフトのユニフォーム風の衣装らしいけど、痩せたミックが着ると、ピエロみたいだ。でも、関係ない。どんなバカみたいな衣装を着ていても、ミックはカッコイイ。

 ギターやベースは、気が向くと、ピックを投げて観客にプレゼントしている。でも、ベーシスト、ビル・ワイマンのピックの投げ方は、まるで「種蒔き」みたいだ。

 きのう、あの満員電車並みのグランドで、もみくちゃにされながら、見ていたのも信じられないけど、今日、こうしてのんびりスタンドで見ている自分も信じられない。動いているストーンズを、同じ空気を吸いながら、見ているなんて本当に不思議だ。

 私にはわからなかったが、演奏自体は、きのうより今日の方がよかったそうだ。同じツアーのちょっとお姉さんの人が、「きのうのコンサート見たら、まるでアメリカの時と同じでがっかりしちゃった。今日見て、ストーンズ、まだまだいけるなって、安心したわ〜」と言っていた。

 私にはわかんない。きのうのが最初に見たストーンズで、今日のは2回目。日本で見た、他のミュージシャンのライブとは全然違うっていうことと、フィルム・コンサートで見るのとも全然違うってことしかわからない。音は…音はライブレコードのようには聞こえない。会場が広いので、音がワンワンして、ジャカジャカ音しか聞こえない。ミックが歌う曲を観客がコーラスすると、音がずれて、気持ち悪い。

 ショーが終わったあと、私はウエンブリー・スタジアムの砂利を拾った。甲子園球児のように。ストーンズの風船を持っていた黒人のお兄さんに頼んで、風船も2つもらった。20年以上経った今では、風船のゴムがくっつきあって、ストーンズのベロマークが見えるか見えないかくらいだ。

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ブリストル


 2日目は、前日より、多少早くホテルに戻れた。2日連続のコンサートでヨレヨレだったので、シャワーを浴びていると、ファン・クラブのスタッフが来た。

 「明日、ブリストルというところでコンサートをすることが決まりましたが、行きますか?ただし、チケットは手元にないので、ダフ屋から各自調達。地下鉄もストライキ中なので、国鉄で行きますが、途中で止まって帰れないかもしれません」

 え〜! 行きたい! でも…。迷っていると、「どうしますか?早く決めて下さい」と返事を催促される。

 「行きます!」

 翌日、私は靴下にポンド札をたくさんはさみこんで、ブリストルに向かった。ブリストルに行ったのはエミーと私を含む15人。Cindyとユキは行かないという。今朝になって、地下鉄だけじゃなく、夜には国鉄もストに突入することが決まったので、参加者が減ったらしい。ブリストルの公演は、ロンドンよりうんと早く始まるのだが、全部見たら、国鉄では帰れない。

 「もし、ステージまでたどり着けたら、これ、投げて!」と、Cindyから、30cmくらいの、ミニ鯉のぼりを預かる。吹き流しに、Cindy、ユキ、エミーと、4人で、それぞれストーンズへのメッセージを書き込む。
 「Waiting for The Rolling Stones in JAPAN」、私は、そんなことを書いたような気がする。

 国鉄のパディントン駅までは、ホテルから歩いてすぐ。電車は4席の対面式で、真ん中に大きめのテーブルがある。イギリス人のサイズに合わせてあるので、広々している。

 ブリストルはロンドンから約200km。途中、Bathという駅を通過する。風呂?ああ、カンタベリー物語だったかに出てきた「バース」か…。車窓の外には、のどかな田園風景が続く。靴や靴下にポンド札をねじりコンで、ロック・コンサートに行くとは思えない景色だ。ブリストルは小さな駅で、そこからコンサート会場まで、えんえんと緑の草むらが続いている。ピクニックに来たみたいだ。それからどう行ったのか覚えていないが、会場付近に近づくと、急に人が増えていた。ガードマンなのか、警官なのか、警備の人も多い。

 しかし、チケットはどこで買えるの?ダフ屋って、どこにいるの?もうJガイルズ・バンドの曲目も終わりそうだ。これが終わったら、次はストーンズじゃない?

 「チケット、チケット」と声を掛けながら、必死にダフ屋を探していると、「チケット?」と声を掛ける男の人がいた。ほっとして、近づくと、彼もチケットを買おうとしている人だった。どうも、ブリストルの会場、アシュトン・ゲイト・スタジアムは、ロンドンのウエンブリーに比べると、小さいので、チケット入手が困難らしい。

 「チケット欲しいのか?こっち来い」
 そういう男がいたので、ついていくと、1台の車の回りに6〜7人の男がたむろっている。
 「やばいよ」エミーがそう言うので、近づかないで、他を探すことにした。

 探しても探してもチケットは手に入らない。とうとう、ストーンズが始まってしまった。せっかくブリストルくんだりまで来たっていうのに、泣けてくる。せめてCindyの鯉のぼりだけでも渡したい。エミーと私は、ステージ裏に回った。ステージ裏の柵は、機材搬入出のためだったのか、なぜか開いていた。そこから入り込んで、ステージ裏まで昇ると、さすがに、スタッフに止められた。やっぱり、ここから入り込むのは無理かぁ〜。

 「えーと、ストーンズのスタッフの方ですか?私たち日本から来たんですけど、チケットがなくて、入れなかったんです。これ、日本の伝統的なグッズなんですけど、ストーンズのメンバーに渡してもらえませんか?」

 「Sure」
 
 本当にストーンズのメンバーの手元まで届いたかどうかはあやしいが、とにかくCindyの鯉のぼりは海を渡り、ブリストルへ行き、ストーンズの至近距離までたどり着いた。

 エミーと私は、会場に入れなくても、せめて音だけでも聞きたい…と、近くの草むらに寝転がって、しばらく聞いていた。でも、姿が見えないっていうのは、よけいむなしい。国鉄がストに入らないうちに、すごすごとロンドンに戻ってきた。
 ブリストルに行った15人中、6人はダフ屋から定価の2倍以上の高値でチケットを買って入場、2人は、「日本から来たんだ〜。入れてくれ〜!」と叫んで、なんとタダで入ったとか。やっぱり簡単にあきらめちゃいけない

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ミーハー観光


 あくる6月28日は、ロンドン滞在最終日。到着日を除き、唯一の観光日だ。
 
 ブライアン・ジョーンズの墓のある、チェルテナム、昔、キース、ミック、ブライアンが住んでいたアパート、エディス・グローブ、キースやミックの家があったチェーン・ウォーク、伝説のクラブ、マーキー…ストーンズ・ファンにとって観光名所だ。

 私とエミーは、ミックの母校、London School of Economics and Political Science (ロンドン大学経済学部)に行くことにした。残りはたった1日しかないので、世界に名だたる大英博物館も通過。その隣にある、ロンドン大学の本部で、経済学部の住所を教えてもらう。あいかわらず地下鉄のストが続いているので、バスで移動。ロンドン名物、赤い二階建てバスは、ロンドン大学の近くからすぐに拾えた。
 経済学部は、キャンパスも何もなく、そう大きくないビルだった。学生でない我々も、するっと入り込める。4〜6人乗りの小さなエレベータに乗り込み、「ミック・ジャガーも使っていたかもしれない」学食へ直行。もっともミックが在籍していたのは、20年も前の話だから、建物も違うかもしれないけど。イギリスで食べたものは、運悪く、どれもこれもまずかったが、この学食の「ストロベリー・シェイク」は、なかなかいけた。ただし量は、マック・シェークの2倍弱。

 その後も、「ローリング・ストーンズが1969年に、ブライアン・ジョーンズの追悼フリーコンサートをやった」ハイドパークとか、「ローリング・ストーンズのメンバーが行きつけの」キングス・ロードの店、などに行ったが、とにかく地下鉄が使えないので、不便。バスはどこでも長蛇の列。列に並んでいる、ひげの生えたおばあさんに、行き先を聞いたら、「ジャップ…。私の夫は戦争で死んだ」と、いきなり言われて、驚いてしまった。公衆電話はたいてい壊れている。電話ボックスから出てくると、イギリス人が、「それ使える?」と聞くので、「いいえ」と答えると、「それもか」というくらい。1982年のロンドンは、不景気で、食べ物はまずく、赤や黄色の髪の毛の若者がブラブラしているような町だった。

 運のいい人は、キングス・ロードで、ギタリストのロニー・ウッドに会ったらしい。私たちもキングス・ロード、行ったのに…。

 29日の朝には、早くもロンドンを出発して、成田へ向かった。ツアーの何人かは、このまま残って、スペインでコンサートを見るそうだ。行きと帰りの人数が違うツアー。帰りの飛行機の中に、父親に借りたカメラを置き忘れ、写真もあまりない。帰国してからCindyは気管支炎になったらしいが、私も1週間寝込んだ。添乗員が迷子にならずに、ちゃんと日本に帰って来られたのかどうかは知らない。

 これが、私の参加したことのある、唯一のツアー旅行だ。
 
 (終)
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